能登金剛は旧富来町の海岸線一帯の総称で、南は福浦地区から北は西浦地区までの約30kmに及びます。
一帯の海岸は日本海の荒波によって浸食された奇岩や断崖が多く、訪れた人たちの足を停める景勝地が続きます。
観光スポットとしては巌門、機具岩、増穂浦、玄徳岬、ヤセの断崖、関野鼻などがあります。
※ 写真をクリックで、スライドショーを開始します
福浦港の先端にある、日本で一番古い木造灯台で、日和山(ひよりやま)と呼ばれる絶壁の上にあります。
1608年(慶長13年)に地元の日野資信が持ち舟の安全をはかるため断崖上でかがり火を焚いたのが始まりといわれ、1910年(明治43年)、旧福浦村営の灯台になるまで、代々日野家の手で守られて来ました。
現在の灯台は、1876年(明治9年)日野吉三郎が建造したもので、1952年(昭和27年)まで使われていました。
かつての灯明堂の形状を残した木造四角、桟瓦葺き、高さ5mの建物で内部は3層となっているようですが、内部を見ることは出来ません。 1965年(昭和40年)に石川県文化財指定されました。
福浦港を見下ろす高台の松林に、腰巻地蔵はあります。 その昔、難破した船の遺族が、供養の為に建てたということですが、定かではありません。
福浦地区は、昔から港町として栄えた所で、奈良時代には渤海国の使節を送迎した「能登客院」のあった場所として知られています。
また、近世においては北前船の寄港地として栄え、沢山の芸妓(ゲンショ)がいたといいます。
案内板には・・・「芸者オイチが船頭に恋をし、船頭の船出を止めようとする一念から岬の地蔵の所にへ行き、ふと己の腰巻を地蔵に打ち掛けたところ忽ちに荒天となり、船は帰港して長逗留することができたといわれています」と記されています。
腰巻地蔵のそばには、「能登の福浦のこしまき地蔵は けさも出船をまたとめた」と詠んだ、野口雨情の歌碑が建っています。
日本海の荒波によって造られた、幅6m・高さ15m・奥行き60mの洞門は、波の無いときは小船で通れる程です。
洞窟の周辺には鷹の巣があったと言われる高さ27mの「鷹の巣岩」や落差約40mの「吹き上げの滝」、「千畳敷岩」があります。
近くの売店では貝細工の装飾品や置物が販売されていて、見ているだけでも楽しめます。 また、遊覧船が就航していて海からの巌門を楽しむ事ができます。
能登二見とも呼ばれる夫婦岩で、日本海に沈む夕陽が美しい所です。 案内板には以下のようにその謂れが書かれています。
機具岩(能登二見)
古歌に、「織姫のたてしや磯の機具岩 綾織りかくる波のかずかず」
太古能登部に鎮座する能登比盗_社の祭神が賊徒におそわれし時、取って機具を投げられた。 それが飛んでこの地に至り、化して機具岩となった。
この岩の祭神は淳名木入比当ス(ヌナギイリヒメノミコト)である。 夕日が沈む能登二見で陰陽石が相対する真の夫婦岩である。
貝類が豊富に採れる遠浅の砂浜で「日本の水浴場55選」にも選ばれた増穂浦海岸は、水質も良く安心してマリンスポーツや海水浴が楽しめます。
また、増穂浦海岸は鎌倉の由比ヶ浜、紀伊の和歌浦と並ぶ日本小貝三大名所の一つにもなっていて、打ち寄せられる貝の多いことで有名です。 サクラ貝やムラサキ貝、ニシキ貝などのきれいな貝殻を拾えます。
堤防には全長460.9mの「世界一長いベンチ」があり、日本海の夕景をゆったりとした気分で眺めることができます。